ソムタムとの出会い

 

今までにこんな変な味がする
食べ物に出会ったことがなかった。

 

これが、初めてタイ料理の「ソムタム」を食べた時の印象である。

 

何故なら、青りんごか大根か分からないスライス状にしたものに、
小さい川ガニと思われるものが砕かれて入っている。

 

「どうやって食べるの?」

 

正直、このような食べ物は見たことがない。

 

日本料理では、カニなどは食べやすいように殻が剥かれていたり、
唐揚げにしたりするのが普通である。

 

しかし、このタイ料理は無造作に川ガニが砕かれ「勝手に食べろ」
という感じに乗っている。爪までもむき出しに入っている。

 

挙句の果てに、ピーナッツまでも入っているではないか。連れが
私の皿に盛ってくれた。意外と強烈な独特の臭いが鼻に入ってき
た。恐る恐る口の中に入れてみた。
「ガリッ」
カニの足が歯に食い込んだ。
「痛い」
咄嗟に手を口の中に入れてカニ足を取り出す。

 

 

仕切り直しで、カニをよけてスライス状になった青りんごみたい
なサラダを食べてみた。良い食感でシャキシャキと食べれる。ピ
ーナッツも思ったより邪魔にならない。

 

・・・・・と次の瞬間、強烈な辛さが口の中を襲ってきた。

 

たまらない、水をがぶがぶと飲んだ。しかし、そう簡単に辛さは
消えてくれない。何なんだ、この変てこな味は?

 

甘い、酸っぱいそして辛い。少し生臭いような香ばしいようなし
ょっぱさがある。ニンニクも効いている。正直はっきりしてほし
い。甘いんだったら甘く、酸っぱさはいらない。

 

そして、ほんのり辛いのだったらわかる気がするが、舌がしびれ
るような激辛は、明らかに喧嘩を売っているようなものである。

 

もう二度と食べなくても良い料理だ。「日本人の私にはタイ料理
は合わない」と思った。

 

それから1週間が過ぎたころ、不思議にあのへんな味が恋しくな
った。会社の同僚とタイレストランに行く機会があった。そして
頼んだのは、前回同様「ソムタムプゥーパラー」川ガニの塩漬け
入り青パパイヤサラダ

 

 

爪と足に注意して食べてみた。確かに辛いけど、カニの風味とラ
イムの酸っぱさが何気にそそってくる。独特の味付けにどこか懐
かしさがある。

 

後から来る辛さも慣れると心地よく感じる。実は、辛さの元の唐
辛子は砕いて入れているため大きさがまばらなのである。

 

前回は大きな部分を食べたので激辛だったが、食べる前に気を付
けながら口の中に入れると辛さも和らいでくれる。と言っても、
その辺の辛さとはやっぱり違う。

 

 

私自身韓国料理で培った辛さには多少の自信があった。しかしタ
イの辛さは別物で次元が違う、その洗礼を前回でもろに受けた。

 

それにしても不思議な味のタイ料理。この時点では美味しいのか、
不味いのかはっきり分からない。ただ、タイ料理の世界に足を踏
み入れたのは間違いない。

 

少しづつほかの料理にも興味が湧いてきた。

 

 

 

 

 


初めてのタイ(友達編)ラン島そしてタイとの別れ

 

【滞在最終日】

 

 

今日でタイともお別れ、最後の日である。

 

予定通り本日は船で「ラン島」に渡り楽しみ
たいと思う。朝一番の船に乗るためホテルを
7時頃に出て船乗り場までソンテゥに乗り向
かった。船乗り場はウォーキングストリート
の入り口近くから歩いて桟橋に向かう。

 

 

朝一番のラン島行きの船は8時、その場でチ
ケットを購入して乗り込む。

 

8時過ぎても次から次と乗船させていてなか
なか出港しない。これもお決まりのタイスタ
イル、もう慣れてしまった(笑)

 

 

 

 

各自ライフジャケットを身に着けて約30分の
船旅を楽しむ。海風が気持ちよくしばらくし
てラン島の山の頂のお坊さんの像が見えてき
た。ラン島到着、次々に乗船客が降りてくる。

 

ビーチまでの桟橋を歩きながら海をのぞき込
むとものすごい透明度とてもきれいである。

Kと二人で感動していた。

 

 

ビーチチェアを嫁にレンタルしてもらう、
一日一人100バーツ(約360円)

 

とりあえずビールとつまみを仕入れて乾杯、
パタヤビーチと違い海がとてもきれいであ
る。居心地が良い。

 

 

世界各国から来ている観光客、多くもなく少
なくもないほど良い人達、パタヤビーチと違
いわずらわしい物売りもいない。

 

子供の頃に戻りKと二人海に入りはしゃいだ。

 

 

疲れたらビーチチェアで休んでビールを飲ん
でつまみを食べてまた海で遊ぶ。何て幸せな

んだろうとつくづく思う。

 

時折吹く海風がとても気持ち良い、チェアに
もたれてしばしの休息 時間はあっという間
に過ぎていく。名残惜しく午後の2時の便で
パタヤに帰る。

 

 

一度ホテルに戻りドイツから来ている嫁の姉
夫婦と合流した。Kとはサコンナコンで対面
しているのでパタヤでの再開となった。

 

明日の帰国の前に最後の食事をみんなでする
ことになった。

 

ホテルから歩いて間もなくムーガタ料理屋が
あった。最後の食事はKの好きなムーガタで
ある。もちろん私も大好きである。

 

タイに来て初めての雨が降っていた。

 

 

この辺のムーガタ屋はバイキング方式が多い
らしい。嫁が沢山の食材を皿に運んできてく
れた。それを我が物顔で焼きビールをがぶ飲
みしているKがいる。

 

バイキングと言えど残したら罰金があるよう
だ。嫁から皿に盛ってきた分は必ず全部食べ
るように言われ私とKはペースを上げながら
ムーガタを堪能した。

 

嫁の姉夫婦達と再開を約束してムーガタ屋を
後にした。ホテルに戻り早速帰り支度をする。

 

忘れ物とかないようにKの部屋をのぞいて見
ると「松葉杖」が置かれていた。

 

「大事なものだから日本に持って帰ったら?」
「これはここに置いて行く」(笑)

 

振り返れば、いろいろあったけれどKは「タ
イ」を十分堪能できたと思う。

 

行きたいところや見たいところはまだまだあ
るけれど、タイの人達、タイの国柄などは少
しは分かってもらえたかなと思う。

 

私とKとは20代からの付き合いで知り合っ
てからもう30年以上になる。意外と深い付
き合いなので気心は知れている。

 

今回の訪タイは、私の嫁の生まれ育った国、
そしていずれ私も暮らす予定の国を一度K
に見せたかった。

 

そのため名目は招待という形でKには往復
の航空運賃と自分の小遣いだけ用意しても
らい、その他宿泊と食事はすべてこちらで
用意した。

 

帰るころには片言のタイ語を喋れるように
なっていた(小笑)

 

今日で最後だと思うとあっという間の2週
間だった。長いようで短かったタイの国と
も今日でお別れ、明日には日本に帰ってい
る。私には居心地が良すぎるタイ、それ以
上にKは喜んでくれたと思う。

 

途中アクシデントがあったがそれも良い思
い出に変わるだろう。

 

 

2020年3月1日 02:45 ドンムアン国際
空港
2020年3月1日 10:25 成田国際空港

 

 

パタヤのロッティー乗り場(乗り合いバス)
からドンムアン国際空港に向かった。

 

 

PS
余談であるがもう少し遅かったら、出国規
制で帰れなかった可能性が高い。
このころからコロナが全世界に対して猛威
を振るいだした。

 


北タイ「ファン」で体験した蟻の卵の捕獲

 

 

チェンマイから北へ150㎞、バスに揺られて約3時間

日本の原風景が残るのどかなFang(ファーン)という街がある。

 

西側の山岳部はミャンマーとの国境になっていて、田舎のよう
でもあるが国道沿いには大規模な商業施設が立ち並んでいる。

 

 

国道107号線から山岳部に向かって奥へ3㎞入って行ったとこ
ろに小さな村がある。ここに私の奥様のお兄さんが住んでいる。

 

1週間ほどお世話になったときに今でも忘れられない思い出が
ある。蟻の卵はご存じだと思うが、タイでは蟻の卵を食べる習
慣がある。赤蟻と呼ばれるツムギアリで、木に巣を作り2月か

ら5月にかけて卵を産む。

 

 

3ヶ月の間にしか食べれない貴重な食材で、スープに入れたり、
卵焼きにしたり、サラダにしたりと幅広く利用される。

 

私達が訪れたのは2月の終わりごろまさに蟻の卵の捕獲時期で
ある。早速、赤蟻のいる木の周りにビニールシートを敷いて
長い竹の棒で巣を突く。

 

 

 

次々と蟻と卵が落ちてくる。

私も棒を持って手伝った。

 

ところが、落ちた蟻を見てみるとなんと私を威嚇しているでは
ないか、私をめがけて攻撃してくる。

 

日本の黒い蟻よりも大きい赤い蟻が私の足元から次々に登り始
めかじってきた。これがとんでもなく痛い。

 

登ってくる蟻を手で払いのけると、木の上から落ちてきた蟻た
ちが私のTシャツに張り付いている。首筋から中へ入り、胸元
や背中を容赦なくかじってくる。

 

痛くて蟻の卵獲りどころではなくなった。

 

足は痛いは、背中は痛いは、胸やお腹が痛いはで一人でもがい
ていた。それを見ていた近所の人達が大笑い

 

最後は洗面所に行き、服を全部脱いでシャワーを浴びる事で蟻
たちを洗い流してやった。

 

それにしても狂暴な赤蟻たちである。

 

そんな赤蟻の卵をサラダと卵焼きにしていただいた。

 

カイ(たまご)モッ(蟻)デーン(赤い)と呼ぶイサーン料理

 

上が蟻の卵入り卵焼き(カイジャオカイモッデーン)と下が蟻の卵のサラダ(ラープカイモッデーン)

 

卵のサイズは1㎝弱の大きさで、食べると「プチッ」とはじけ中

から濃厚な栄養素が口の中に広がる。

 

味は白子を食べてるような感じでほんのり甘い。

 

痛い思いをして食べた赤蟻の卵は、私にとっては恨み返しの味わ

いだった(笑)

 

バンコクではあまり見かけないが、イサーンに行くと市場でよく

見かける事がある。

 

 

一山で30バーツで売られていた。

 

精力がつくと言われたが・・・(小笑) 北タイやイサーンの人達

の大好物である。

イサーンの奥様の実家では赤蟻も食べていた。私も食べてみたが、

酸っぱい味がして以外だった。

 

タイへ行ったときに、時期が合えば赤蟻の卵を食べてみるのも

「アリ」だと思う。

 

 


初めてのタイ(友達編)パタヤ

 

 

 

アユタヤとも今日でお別れ、Kに足の状態を聞いてみると腫れ
も引いて大分良くなったみたいだ、まずは一安心。

宿のお兄ちゃんに嫁からお礼を言ってもらい宿を後にした。

 

ソンテゥに乗りロットゥー乗り場に向かう。Kは少しづつ松葉
杖なしで歩けるようになっていた。

 

一度バンコクのモーチットまで行きそこから高速バスに乗り
換えてパタヤに向かう。パタヤは2泊の予定である。

 

宿に到着した、お腹が空いたので近くのレストランに入り遅
めのランチ、もちろん私はビールを頼む。Kは本当に羨ましそ
うに見ていた(笑)

 

 

そのままパタヤビーチまで歩いて行きビーチチェアをレンタル

して海を見ながらまったりしていた。私は何度も来ているがK
は初めて、パタヤビーチを満喫してもらいたい。

 

以前はゴミだらけのビーチで海の中まで瓶が転がっていた。

 

へたに裸足で歩くと怪我をしてしまいそうな状態だった。これ
が問題になりビーチの一掃へとようやく市が動き出した。以前
に比べて大分きれいになった。今でも、定期的にビーチに重機
を入れてきれいにしている。

 

 

 

パタヤビーチ名物のたくさんの売り子が目の前を行き交う。そ
の中で七輪をぶら下げてするめを焼いてくれるお兄さんがいた。
以前にも食べたことがあり私の好物でもある。

 

剣先いか5枚を焼いてもらった。独特のタレもついていてビール
がすすむ。ついにKは我慢しきれずにビールを頼んできた。

 

「1本だけだよ」と釘を刺してビールを頼んだ。本当に美味しそ
うに飲んでいる(笑)Kと二人で遠浅の海に足だけを入れて楽しん
でいた。Kの痛風も静かにしているようだ。

 

普通に歩けるまで回復してきた。

 

今晩はKに東南アジア一の歓楽街「ウォーキングストリート」を
案内する予定である。

 

夕方になり嫁の娘達と合流した。

 

私達を海鮮焼き屋に連れて行ってくれた。Kはもちろん初対面、
軽く会釈して食べるのに夢中になっていた。もうすでにビール
は解禁状態、Kの暴走は止められない。そんな様子を横目で見
ていて私も本心では安心していた。

 

 

 

Kに「ウォーキングストリート」を見せるために、義理の娘の
旦那に案内してもらった。私は以前に来ているので2度目であ
るが目の保養には最高である(笑)

 

Kは人の多さにびっくり、更に露出度最高のタイレディー達、

きらびやかなネオン、活気に満ちた露店の人やパフォーマン

スをしている人、世界各国から集まってきた人達、流石東南

アジア一の歓楽街と呼ばれるだけのことはある。

 

Kの顔は緩みっぱなし、にやけながら楽しんでいる。

 

 

ウォーキングストリートを往復して帰路に着いた。

 

Kはすっかり「普通」に戻った様子で「もう、大丈夫」と言

って来た。・・・・・今更ですか(小笑)

 

いよいよ明日は最後のパタヤ、そして最後のタイの夜、タイ

ともお別れである。明後日には日本に帰ってしまう。

 

最後はラン島に船で渡り1日楽しみたいと思う。嫁と船の時
刻などを調べKに明日の予定と出発時間を告げた。

 

Kは子供のようにはしゃいでいた(笑)

 


初めてのタイ(友達編)アユタヤ

 

 

カンチャナブリからロットゥーに揺られ約3時間、無事にアユ
タヤに到着。ここまでの道のりはとても快適、道路も広く平均
時速80㎞で移動してきた。

 

運転手に宿の名前を告げると入り口前で降ろしてくれた。

今日からここで2泊の予定でアユタヤを見物する。

 

私と嫁さんは以前にも来ているので【K】に見せてやりたいた

めのアユタヤ滞在である。しかし、当の本人は松葉杖の病人に
なってしまった。

 

果たしてどうなる事やら想像できない。

 

宿の受付を済ませ一番奥のファミリータイプの部屋に入る。

宿の名は「ジダパリゾート」

 

 

アユタヤの駅からは反対方向で周りに寺院はない。川を挟んで反
対側には有名な寺院があるみたいだ。

 

アユタヤを見て廻るには一日ではとても足りない。以前に自転車
をレンタルして見て廻ろうとしたが、暑さとの闘いで体力が消耗
して大変な目にあった。

 

お勧めはトゥクトゥクのチャーターである。

 

 

この宿の魅力はの目の前がチャオプラヤ―川が流れリバーサイ
ドで食事が出来ること。対岸にはライトアップされたお寺が見
えて私たちは気に入った。

 

 

 

 

お昼ごろに到着したが、Kの事情があるためこの日は宿で様子

を見る事にした。

お腹が空いたので宿に食事を頼んだが食事は夕食と朝食のみ

で昼食は自分達で探すことになった。

 

Kには宿で休んでもらい私と嫁さんとで氷と食事の買い出しに

出かけた。橋を渡り対岸に行くとセブンイレブンがあった。

 

氷と水はそこで買い途中食堂があったのでガパオライスと

ガイヤーン(焼き鳥)を買って来た。夕方までチャオプラヤ
―の川を見ながら部屋でのんびり過ごした。

 

Kの足は冷やしているため痛みは少ない。ただ、心配なのが
痛み止めが無い事である。

 

 

そこで嫁さんが宿のお兄さんに事情を話して痛み止めの薬を

買ってきてもらう事になった。お兄さんは1時間もしないう
ちに戻り、大量の痛み止めを仕入れてきてくれた。

 

嫁さんはお兄さんに感謝しながらチップを渡していた。この
お兄さんには大変世話になった。最後まで本当によくしても
らった。

 

Kが痛風で歩けないと分かると、食事を部屋まで運んでくれ
たりアユタヤ観光の見どころや廻り方、トゥクトゥクを安く
チャーターしてもらったりなどとても助かった。

 

最後の夜はメニューにないチムチュム鍋をリクエストして、
白センマイを買ってきてもらったりした。

 

その日の夕食は私と嫁さんだけでのリバーサイドディナー。
Kには悪いけれど部屋食で我慢してもらうしかない。

 

翌日、チャーターしたトゥクトゥクが時間通り迎えに来た。

 

アユタヤのトゥクトゥクはダイハツミゼット(三輪車)を
使っている。昔のミゼットが何故アユタヤで走っているの
か不思議である。

 

 

 

Kに様子を聞いてみたら「絶対行きたい」ということで、一緒

に行く事になった。廻るコースは事前に運転手に話していた。

 

不慣れな松葉杖をつきながらアユタヤ遺跡を見て廻る。

同じ観光客が心配そうに見ていた(笑)私が写真を撮ろうとする
と「松葉杖は写さないで」と普通を装う、とぼけたKである。

 

 

 

 

アユタヤ観光を楽しんで宿に戻った。

 

明日はパタヤまでの移動、そこで義理のお姉さんたちと合流す

る予定、最後の夜ということでKも一緒にリバーサイドで夕食

を楽しんだ。当然ビールは無しで、Kは羨ましそうに私達を見
ていた。

 

翌日、Kの様子がおかしい。足がパンパンに腫れている。やは
り、前日に松葉杖で歩いたのが悪かったのか負担がかかったら
しい。痛み止めは飲んでいるが腫れていて足をつくことも出来
ない。

 

これではパタヤまでの移動は無理である。宿の受付に行き私達
が泊っている部屋の本日の予約を確認してもらったら空いてい
たので、もう1日延長することにした。

 

この宿はキャッシュの清算が出来ない、今までの宿泊代は事前
に支払っていた。そのためもう1日宿泊となる場合新たに予約
を入れてコンビニから1泊分を支払うことになる。

 

予約はアゴダを利用しているのでホームページから新たに予約
をし直して支払い番号を出してもらいセブンイレブンで支払っ
た。本当に世話の焼けるKであるがしょうがない、これも後に
は笑い話となるだろう。これで1日延びたアユタヤ滞在である。

 

私は特にやる事もないので近所を探索に出かけた。

 

チャオプラヤ―川の橋を渡り向かいの遺跡までのんびり歩

いて行った。意外と距離がある、嫁さんも暑さでへばっている。

 

 

 

3時間位かけて探索から戻ってきた。

 

Kの様子を見てみると腫れは少し治まったみたいで、痛みは

あまりないらしい。この分であれば明日はパタヤに移動できる
だろう。

 

今日は最後の晩餐ということでお兄さんにチムチュムの用意

をお願いして白センマイや肉をリクエストした。ところがお兄
さんはこれでもかというくらい白センマイを仕入れてきた。私
達には食べきれない。

 

そしたら、お兄さんは「仲間が来ているからもらっていいか」

と持って行った。最初から計算済みであるが憎めない。

 

リバーサイドでチムチュムを食べながら最後のアユタヤの夜

を楽しんだ。Kはもう大丈夫とばかりビールを飲み始めた。

 

「あとは知らないよ」と私は釘を刺しておいた。とは言って
も、せっかくアユタヤに来たのだから最後の夜は好きにさせ
てあげたい気持ちがあった。

 

 

 

 

チャオプラヤ―川をリバークルーズの船が行き交い船内は

カラオケで盛り上がっていた。こちらから手を振ると答えてく
れた。

 

砂を積んだ船がバンコクへと何隻も通り過ぎていく。
夜になってもチャオプラヤ―川は賑やかである。

 

明日はパタヤに移動、はたしてKの足はどうなっているのか?


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