タラの芽採りの名人?

 

 

春の、旬な山菜タラの芽
山菜の王様と呼ばれ、

天ぷらは最高のご馳走である。

 

 

ウコギ科のタラの木の新芽で、

里山などに広く自生している。

 

枝や幹に鋭い棘が沢山あり、

棘が多いのがオダラで少ないのがメダラになる。

 

 

 

 

栽培物はほとんどがメダラで、

天然ものに比べると味が薄い。

4月から5月末頃まで採る事が出来る。

 

よくタラの芽と間違えられるのが山ウルシ。

新芽はよく見ないと間違えやすいが、

枝に棘があるかないかで見分けがつく。

 

 

 

 

また、新芽の色も赤味を帯びているので

違いが分かると思う。

 

 

毎年桜の咲くころに合わせて、

私は奥様を連れてタラの芽を採りに山にでかける。

 

私と出会うまではタラの芽やほかの山菜など

まったく知らなかった奥様。

 

 

 

結婚を機に、

山に山菜取りに出かけフキノトウから始まり、

タラの芽、コシアブラ、こごみやわらびなど、

私が知っている範囲で教えてきた。

 

食べる分だけ持ち帰り、

調理は私の担当で奥様に作ってやる。

 

今では、大の山菜好きで春になると、

今か今かと首を長くして待っている。

 

 

私は仕事上外に出歩いているので、

いつもタラの芽をチェックしている。

 

そろそろかと思い休みの日に、

奥様を連れてタラの芽を採りに出かける。

 

棘が痛いため軍手は役に立たない。

軍手の表面がゴムで覆われた物がベストである。

 

手が届く範囲の物は採られている可能性が高いので、

高枝バサミを改造したものを持参して行く。

 

 

タラの芽は、

芽の付け根の部分からもぎ取るような感じで採らないと、

タラの木が死んでしまい翌年には生えてこない。

 

 

 

一番芽を採った後にも二番芽が出てくるが味が違う。

私の秘密の場所に奥様を連れて行き、

早速タラの芽を探す。

 

 

 

食べ頃は少し芽が開きかけ、

10センチ未満の物が最高である。

奥様と二人で旬なタラの芽を探す。

 

次から次へとタラの芽をもぎ取る。

 

 

 

 

私が別の場所でタラの芽を採っていると、
奥様は木によじ登り高いところのタラの芽を採っている。

何ともたくましい限りである。

 

 

もう十分採ったので、

帰りを即すと「まだ足りない」と言い、

私が見つけられなかったタラの芽を、

これでもかというくらいに採ってくる。

 

家に戻りすぐに奥様がタラの芽を洗い、

ハカマを取り除き天ぷらのしたごしらえをする。

天ぷらを揚げるのは私の当番。

食卓に初物のタラの芽の天ぷらが並ぶ。

 

 

 

 

 

先ずは、ビールで乾杯、

そして奥様はタラの芽をいただく。

 

 

春の恵みに感謝、

奥様の顔は幸せに満ちあふれていた(笑)

 

 


キャンプの楽しさをタイの奥様に教えてみた

 

タイの彼女と付き合っていた頃、

矢板のキャンプ場に連れて行った。

 

私は単身赴任だったため

キャンプ道具は実家にあるので、

バンガローに泊まる事にした。

 

 

 

 

食料は事前に用意していたので、

バンガローに到着するなり

すぐに食事の準備に取りかかる。

 

至れり尽くせりのサービス精神で、

バーベキューで焼いたものを食べさせたり、

飲み物を用意したりと私は忙しかった。

 

夜になり寝る準備に取り掛かる。

 

私はテントなどで寝る事に慣れているので、

バンガローでもすぐに寝られる。

 

 

ところが、風の音や木々がざわつく音、

動物の声や戸が揺れる音などで
彼女は寝られなかったらしい。

 

物音がするたびに怖かったと言っていた。

 

タイの彼女と結婚してからも、

春になるとキャンプ虫が騒ぐ。

 

奥様に今度キャンプに行くよと言うと、

あまり乗り気でない返事が返ってくる。

 

 

一人ででも行くよと言うと、

私も一緒に行くとついてくる。

 

一から教えなければならない、

果たして楽しんでもらえるだろうか?

 

キャンプサイトに着きテントの設営に取り掛かる。

 

わざと手伝ってもらう事にした。

 

寝るところを整理してもらったり、

タープの中にテーブルやいすをセットしてもらったり、

私はランタンをセットして、

ツーバーナーコンロをセットしていく。

 

 

 

奥様から見るとすべてが珍しい物ばかり。

 

炭をおこしグリルで肉や野菜を焼いて行く。

 

そして乾杯!

 

何もない自然の中でビールを飲み、

美味しい物を食べる。

 

 

 

 

これこそが究極の贅沢だと思う。

 

タイの奥様とランタンの明かりの下で

色んなことを話したり

笑ったりして時間は過ぎていく。

 

最初のうちは私が主導権を握りキャンプをしていたが、

今では奥様自らテントを設営したり、

レイアウトを考えたり、

調理をしたりと楽しんでいる様子が分かる。

 

 

春キャンプでは、

近くの山でわらびやこごみなどを採り

山菜狩りを楽しみながら調理して食べている。

 

正直、私がキャンプの楽しさを教えたのではなく

奥様が自分で楽しめるように工夫したのだと思う。

 

お互い、

束縛せずに自由にくつろげる空間を作り、

お腹が空けば自然に用意に取り掛かる。

 

 

好きな時に飲んで食べて寝てが、

我が家のスタイルである。

 

 

今では、奥様の方が何よりも

キャンプに行く事を楽しみにしている。

 


心配性のタイの友達

 

 

まだタイの彼女と付き合い始めて間もない頃、
彼女のまわりのタイ人から、
私はあまりよく見られていなかった。

 

 

ただの遊び人とか日本のマフィアとか言いたい放題。

あの人には気を付けた方がいいよと

彼女にアドバイスしていた。

 

正直、顔は強面ぎみで格好もラフなスタイルなので、

そう見られても仕方ない(笑)

 

ある時、

一泊で北茨城の温泉にアンコウ鍋を食べに出かけた時、
前日から彼女の友達が
「やめた方がいいよ」と言っていたらしい。

 

 

何処に連れて行かれるか分からない、
どこかに売られるかもしれないとか、
何とも想像力が豊かである。

 

待ち合わせの宇都宮から車で北茨城へ向かった。

 

すると、彼女の携帯電話に友達から電話が来た。

「いま、どこ」
「大丈夫?」
「着いたら、連絡してね」

よほど私は信用されていないらしい。

 

 

途中何事もなく、宿に到着。

早速、彼女から友達へ連絡している。

 

楽しい旅行のはずだが、どうもぎこちない。

部屋へ入り、彼女に話した。

 

「そんなに信用できないならばこのまま帰りましょう、
まわりが心配してくるのは分かるけど自分自身の問題だよ、
自分がどうしたいかここで決めなさい。」

 

 

 

少し間があってから、
ごめんなさいと返事が返ってきた。

 

どうも、タイ人のスタイルが解からない。

 

本当に心配しているのか、
やきもちを焼いているのか、
わたしにしてみれば余計なお世話なのだ。

 

気を取り直し、

温泉へ入り夕食の時間まで部屋でビールを飲みながら、
彼女に私の考え方を教えた。

 

 

大事なのは自分、人は人だし自分は自分なんだよ!

ゼスチャーを交えながら
ゆっくり意味が分かるように説明した。

 

彼女も分かってくれたらしく、

これからはそのようにしますと答えてくれた。

 

確かに、この日本で彼女の身内はいない。

 

頼れる人はやはり同じ国の人だと思う。

 

異国の地で生活していくために、
同じ国の人達と団結して

自分達を守っていかなければならない。

 

 

中には、日本人に騙された人も居たかもしれない。
しかし、日本人みんなが悪い訳ではない。

 

時間がかかるかもしれないけれど、
少しずつ私の事を分かってもらうしかない。

 


私とバイクどっちが大事かはっきりしなさい!

 

 

私の趣味の一つにオートバイがある。

 

タイの奥様と知り合った頃、
「私の趣味のひとつにオートバイがある」と

話したことがある。

 

 

奥様もなぜか、

「いままで付き合った人はみんな

オートバイが好きだった、不思議な縁だね」と

話していた。

 

私自身、16歳で自動二輪の免許を取得してから今日まで、
生活の一部にオートバイがあった。

 

色々なオートバイに乗ってきたがここしばらくは、

オフロード系で落ち着いている。

 

最近はオフロードでもトライアル寄りのマシンになってきた。

 

 

それも、私が自動二輪免許を取得した頃の

名車「ホンダバイアルス」
外観は年代を感じる物があるが、

エンジンはまだまだ現役で頼もしい。

 

 

古いバイクを自分の手で

コツコツと仕上げていくのが私は好きである。

 

仕事が休みの日は、

朝早くに起きてつなぎに着替え、

オートバイの整備やレストアしていることが

私に喜びを感じさせてくれる。

 

 

 

ちょくちょく奥様がのぞきに来る。

「頑張ってるねぇ、コーヒーでもどうぞ」と

差し入れしてくれる。

 

 

最初の頃は、理解してもらってありがたいと思っていた。

 

私の性分上、一度手をかけると気になる方なので、

次の休みの日も朝早くから作業が続く。

 

 

すると、

「一生懸命だねぇ、ずーとバイクと居たら」に変わる。

 

「・・・・・・・・」

 

やきもち焼いているのだろうか?

 

また休みの日に作業していると今度は、

「そんなに大事だったらバイクと結婚しろ」に変わってきた。

 

 

私も冗談で、

「そうするよ、今度一緒にバイクをベットに運んで寝るから」

と言い返すと、

「変態!」と怒られる。

 

全く困ったものだ。

 

「今度、一緒に温泉にでも行こう」と

奥様の機嫌をうかがう。

 

 

ところが、

あまり間隔があくといつまでもその言葉を覚えていて、

「いつになったら温泉に連れて行ってくれるの」と

訴えてくる。

 

私は今度連れて行くからとごまかして、

またオートバイをいじり出すと

「私とバイク、どっちが大事なの?

はっきりしなさい」と

キレられる。

 

「・・・・・・」

 

即答に困る。

 

 

もちろん奥様も大事であるがバイクも大事、

私にしてみれば大事の度合いが違う。

 

 

休みの日が近づくと、

「今度の休みの日はどこに連れて行ってくれるの?」と

催促してくる。

 

「ギク・・・」

 

何が何でもどこかに連れて行かねばならない。

 

うちの奥様は怒ると手が付けられない。

おかげで、レストア作業はなかなか進まない。

 

 

レストアして整備して、

山を走りたいのだが思うように行かない。

 

奥様をかまってやらなくちゃいけない、

バイクもかまってやらねばならない。

 

 

私の体は一つしかない。

 

本当に困ったもんだ。


バツイチおやじが「タイの女性」と出会った

 

 

バツイチ

 

私は20歳の時に同じ高校の同級生と結婚した
まぁ、俗に云う「できちゃった婚」です。

 

その後、2男1女に恵まれ若いなりにも、
良い家庭を築くために頑張ってきたつもりだったが、

 

私のわがままな性格や我の強さ優しさ不足などがあり、
23年の結婚生活にピリオド打つ事になった。

 

 

正直に言えば私に愛想が尽きたと思う。

 

 

私は未練があったのだが、

そのへん女性は強いし気持ちの切り替えが早い。

 

その後、私に残ったものは
究極なむなしさと多額な借金。

 

少しでも早く借金を返したい気持ちと、
余計な事を考えないようにするため

昼も夜もがむしゃらに働いた。

 

 

本当につらかった。

 

 

毎日が真っ暗な状態で精神的にかなり参っていた。

 

そんな時、

昔の上司でもあった人から突然電話があり、

風の噂で私の事を聞いたらしく

心配して連絡をよこしてくれた。

 

 

その上司は当時、
千葉で会社の社長をしていて私に、

「そのような状況であれば俺のところで働け」と
半強制的にすすめられた。

 

離婚して気持ちの整理がまだついていない状態だったので、
仙台を離れてみるのも悪くないと思い
条件など確認して千葉で働く旨を了解した。

 

 

私の借金を一時立て替えてもらい、
毎月の給料から少しずつ返す事となり、

かなり精神的に楽になった。

 

 

離婚から4カ月が過ぎようとしていた。

 

 

 

タイ人との出会い

 

千葉の会社の仕事にもだいぶ慣れ、
振り返れば3年の月日がながれていた。

 

 

ある日、会社の上司に飲みに誘われ
宇都宮まで行ってみることになった。

 

行った先は「タイパブ」

 

実はこの上司、

熱烈なタイファンでタイ語を勉強しながら、
タイへの移住を考えている猛者である。

 

 

仙台には、

「タイパブ」や「タイスナック」などは無く
タイ人と接触する頻度はかなり薄いわけで・・・

 

 

この宇都宮は「これでもか」というくらいに

タイ系の飲み屋やアジアン系など、
多国籍に満ちあふれている。

 

多分?

上司の行きつけの店に入るなり、
タイ語が飛び交い露出度の高い

タイ人のホステス達が歓迎してくれる。

 

 

仙台では味わえないなんとも不思議な世界

 

私は圧倒され、
ことばを失いながら時の流れにまかせた。

 

上司は最高に盛り上がり
タイを満喫していた。

 

 

 

その日は、やけに店が混んでいて、

上司には決まった女性が付きっきりで、

 

私といえば、

ヘルプの女性ばかりで入れ替えがはげしく、

落ち着いて飲む雰囲気でもなくなんかぎこちない。

 

上司が私に気を使いその店のママさんに、

私のところに女の子をつけるように言ってくれたらしい。

 

しばらくすると、ひとりのタイ人女性が

「手伝いに来た」
ということで私のとなりにきた。

 

ほかの店からの応援らしく、

片言の日本語で私の相手をしてくれた。

 

私の肩をもんでくれたり、
つまみを食べさせてくれたり

久々の女性の優しさに

ふれたような癒されるような・・・

 

至福のひと時を過ごした。

 

 

まさか 

この女性が後の「タイ人の奥様」になるとは・・・


タイ人の奥様と仲良く暮らすために

 

 

結婚して12年・・・

我ながらよく続いているなぁと感心する (苦笑)

ただ、結婚当初は苦労の連続だった。

 

 

 

ピノキオ並みの鼻

 

私の奥様は、かなりわがままなところがある。
自称「お嬢様」だったらしい。

 

6人兄弟の5番目で父親に溺愛されていた。

 

 

 

話によると、
彼女が生まれてから父親の商売が

右肩あがりで成功したらしくかなり大事に育てられた。

 

 

家にはメイドがいて、
学校の送迎は自家用車、

食事や身の回りの世話や教育などの世話をする。

 

父親が商売が忙しいため、
めったに家に戻って来ない 、

ほとんどメイド任せだったらしい。

 

たまに家に帰ってくると、

たくさんのお土産を買ってきて彼女を喜ばせる。

 

家にいる間は甘え放題・・・と
小さい頃の思い出話を彼女から聞いていた。

 

なるほど、

 

わがままの根源は、

この頃の生い立ちにあるのかなと思う。

 

 

 

一緒に生活していく上で欠かせないのが、
食事や掃除 洗濯の家事である。

 

最初のころは手取り足取り教えたが、

「なんで私一人でやらなくちゃならないの?」と

文句がでる。

 

私の家族と一緒に生活している以上、

義理の母親になる事を説明しても、

「関係ないでしょ」と返ってくる。

 

食事にしても、
すべて私の母親まかせ、作る気は全く無し。

 

少しずつ、
「料理をおぼえて手伝いなさい」と言うと、

「日本料理わからないから無理」と返ってくる。

 

 

洗濯にしてもするのは私たちの分だけ、
家族の洗濯物とわざわざ分けて洗う。

 

これでは、

家族たちからクレーム来るのは当たり前、

そのことを彼女に注意すると「フン」
と聞く耳をもたない。

 

 

そして面白くない顔をしてふてくされる。

 

 

何度か注意をしながら、
しばらく私も我慢していたが、

一向に治る気配がないので日本の雷を落とした。

 

「ここは日本!日本で生活をしていく以上 

我が家のルールがある!いやなら 出ていけ!」

 

 

ピノキオの鼻にひびがはいったと思う。

 

 

日本教育

 

いままで誰も教えなかったから
しょうがない事だが、

ひとつひとつその場その時で
私が教えていかなければならない。

 

周りの人たちに対するあいさつや、

家周辺の買い物の場所や、

バスの乗り方 電車の乗り方

食事の用意のしかた、

 

家族みんながひとつ屋根の下で暮らすルールなど

数えたらきりがない。

 

 

私の奥様の場合、

その時に考える、なんとかなるとの思いが強い。

 

 

私たちふたりだけで生活しているのであれば
あまり問題はないのだが、

私の親や子供たちも同居しているので、

一緒に生活していく以上みんなと仲良くやってもらいたい。

 

 

そのためには、コミュニケーションをとったり

相手の気持ちを考えたり思いやったりと、

多少は気をつかうことも必要だと思う。

 

 

 

しかし、

そこには言葉の壁(それも仙台弁)があり、
意志疎通ができない。

 

それらを後からゼスチャーを交え、
片言タイ語、片言英語などを使いながら教えていく。

 

親や子供たちからは、

反応がないため無視されていると勘違いされ、

 

それが奥様のストレスになり、

家族たちのストレスと膨らんでいき、

家の中はしばらくストレスとの闘いだった。

 

 

私が「ただいま」と、
玄関をあけた瞬間に、

この空気がただよっているのは言うまでもない。

 

 

一人の恐怖

 

私の奥様は、ひとりで家から出られない。

怖いわからないの理由である。

 

そのため奥様の御用聞きが私になる。

 

家にひとりで部屋にいるのが不安らしい。

 

テレビを見ていても、

言葉があまり分からないため面白くない。

 

そして暇をもてあます。

 

すると私の携帯電話鳴る、

「今どこ 何時に帰る 今日何たべる」

 

じつにくだらない内容の電話に、

最初のころは丁寧に答えていたのだが

毎日おなじ電話がかかってくる。

 

 

私も仕事中大変なので、
奥様にスマホを与えラインの使い方を教え、

連絡はメールでとおねがいしたが、

ラインの使い方忘れたと電話がくる。

 

・・・困ったもんだ

 

 

 

現在

 

たくさんの問題を少しずつ解決しながら、
今日まで頑張ってきたとおもう。

 

やはり、相手を思いやる気持ちの大切さを
わかってもらうまでは時間がかかる。

 

私は日本の教育や習慣を学んできたが、

彼女はタイの文化や習慣が当たり前で、

いきなり日本の考え方に変えようとする方が無理がある。

 

いまでは、だいぶ日本人?らしくなって

言葉の壁も低くなり逆に自分が教えられることがある。

 

 

一緒に温泉いったり

旅行に行ったり

キャンプに行ったり

私に合わせてくれるので楽である。

 

 

長続きのコツは、

お互い思いやることだと思う。

日本人だからとか、

タイ人だからではなく、
お互いの良いところを尊重し合いながら

 

一つの問題を二人で一緒に考えていく事で、

安心感や信頼感が生まれて

二人の距離も縮まるように感じる。

 

 

何よりも、
いっしょにいて疲れない事が重要である。

 

ときには友達

ときには恋人

ときには奥様と・・・

 

 

これからも大事にしてゆかねば!


タイの女性と結婚して分かったこと

 

微笑みの国・・・

 

タイと聞くと「微笑みの国タイランド」

というキャッチフレーズをよく耳にしますが、

まさにタイ人女性は、

この言葉を象徴していると思う。

 

年間通して温暖な気候と広大な大地。

そして仏教国、
慈悲の精神が満ちあふれているせいか

「優しさ」が人一倍多く感じられます。

 

この「優しさ」は人にだけじゃなく、

 

動物や植物にたいしても・・

 

特にうちの奥様は、
植物が大好きでわが子のように可愛がり

植物と話しながら世話をしている。

 

ほかで育たなかった苗木や花や草が、

うちの奥様の手にかかると

不思議な事に芽がのび花を咲かせる・・・

 

まさにゴッドハンド!

まぁ、私にたいしても優しいのだが・・・

 

 

タイ料理

 

私はいたって健康体だが、

たまには具合が悪いおなかが痛いはある。

 

そのような時には、
元気がでるドリンクや腹痛が治まる食事など、
タイの食材を使ってつくってくれる。

 

結婚する前はタイ料理など

食べたことがないし興味もなかった。

 

 

酸っぱい辛い甘い

不思議な味でどうしてもなじめなかった。

 

ところが1週間もすると
「もう一度たべてみたい」

と思うようになり奥様にリクエスト、

食べれるレパートリーもだんだん増え

いまではタイ料理が大好き。

 

 

タイ料理は体に良いし、
パワーがでるような気がします。

 

以前、初めてタイに行ったときに
レストランでいつも我が家で食べているものを注文したら

まったく同じ味だったのにはさすがにおどろいた。

 

 

余談だが、

私の奥様はなんとタイの調理師の資格持ちで
自分で店を持っていたそうです。

 

あっぱれ!!

 

私は、毎回ただで本場のタイ料理を食べている

「しあわせ者」です。

 

 

 

喜怒哀楽

 

タイの女性は、

時間がゆっくりながれていると感じるときがある。

 

日本の人は事細かに計画したり、
段取りしたりと色々考える。

 

時間を気にしながら準備を進めていくが、

うちの奥様はその時にならないと用意しない。

 

「明日、10時に○○に行くからね」
「はい」

次の日、

10時から用意するのがうちの奥様です(笑)

 

 

なんで早くに用意しないのか怒ると、

「しょうがないでしょ」と逆ギレされる。

 

私が仕事などで帰りが遅くなると、

「どこ行ってた」
「なんでおそいの」
「メール連絡がない」など ひとりで怒っている。

どっかで浮気してきたななど、

勝手におもって勝手に怒っている。

 

「浮気がばれたらアソコをチョン切って

アヒルに食べさせるからな!」

 

うちの奥様の口癖です。

 

それだけ 想われているって事ですかねぇ・・・( ´艸`)

 


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