初めてのタイ(友達編)アユタヤ

 

 

カンチャナブリからロットゥーに揺られ約3時間、無事にアユ
タヤに到着。ここまでの道のりはとても快適、道路も広く平均
時速80㎞で移動してきた。

 

運転手に宿の名前を告げると入り口前で降ろしてくれた。

今日からここで2泊の予定でアユタヤを見物する。

 

私と嫁さんは以前にも来ているので【K】に見せてやりたいた

めのアユタヤ滞在である。しかし、当の本人は松葉杖の病人に
なってしまった。

 

果たしてどうなる事やら想像できない。

 

宿の受付を済ませ一番奥のファミリータイプの部屋に入る。

宿の名は「ジダパリゾート」

 

 

アユタヤの駅からは反対方向で周りに寺院はない。川を挟んで反
対側には有名な寺院があるみたいだ。

 

アユタヤを見て廻るには一日ではとても足りない。以前に自転車
をレンタルして見て廻ろうとしたが、暑さとの闘いで体力が消耗
して大変な目にあった。

 

お勧めはトゥクトゥクのチャーターである。

 

 

この宿の魅力はの目の前がチャオプラヤ―川が流れリバーサイ
ドで食事が出来ること。対岸にはライトアップされたお寺が見
えて私たちは気に入った。

 

 

 

 

お昼ごろに到着したが、Kの事情があるためこの日は宿で様子

を見る事にした。

お腹が空いたので宿に食事を頼んだが食事は夕食と朝食のみ

で昼食は自分達で探すことになった。

 

Kには宿で休んでもらい私と嫁さんとで氷と食事の買い出しに

出かけた。橋を渡り対岸に行くとセブンイレブンがあった。

 

氷と水はそこで買い途中食堂があったのでガパオライスと

ガイヤーン(焼き鳥)を買って来た。夕方までチャオプラヤ
―の川を見ながら部屋でのんびり過ごした。

 

Kの足は冷やしているため痛みは少ない。ただ、心配なのが
痛み止めが無い事である。

 

 

そこで嫁さんが宿のお兄さんに事情を話して痛み止めの薬を

買ってきてもらう事になった。お兄さんは1時間もしないう
ちに戻り、大量の痛み止めを仕入れてきてくれた。

 

嫁さんはお兄さんに感謝しながらチップを渡していた。この
お兄さんには大変世話になった。最後まで本当によくしても
らった。

 

Kが痛風で歩けないと分かると、食事を部屋まで運んでくれ
たりアユタヤ観光の見どころや廻り方、トゥクトゥクを安く
チャーターしてもらったりなどとても助かった。

 

最後の夜はメニューにないチムチュム鍋をリクエストして、
白センマイを買ってきてもらったりした。

 

その日の夕食は私と嫁さんだけでのリバーサイドディナー。
Kには悪いけれど部屋食で我慢してもらうしかない。

 

翌日、チャーターしたトゥクトゥクが時間通り迎えに来た。

 

アユタヤのトゥクトゥクはダイハツミゼット(三輪車)を
使っている。昔のミゼットが何故アユタヤで走っているの
か不思議である。

 

 

 

Kに様子を聞いてみたら「絶対行きたい」ということで、一緒

に行く事になった。廻るコースは事前に運転手に話していた。

 

不慣れな松葉杖をつきながらアユタヤ遺跡を見て廻る。

同じ観光客が心配そうに見ていた(笑)私が写真を撮ろうとする
と「松葉杖は写さないで」と普通を装う、とぼけたKである。

 

 

 

 

アユタヤ観光を楽しんで宿に戻った。

 

明日はパタヤまでの移動、そこで義理のお姉さんたちと合流す

る予定、最後の夜ということでKも一緒にリバーサイドで夕食

を楽しんだ。当然ビールは無しで、Kは羨ましそうに私達を見
ていた。

 

翌日、Kの様子がおかしい。足がパンパンに腫れている。やは
り、前日に松葉杖で歩いたのが悪かったのか負担がかかったら
しい。痛み止めは飲んでいるが腫れていて足をつくことも出来
ない。

 

これではパタヤまでの移動は無理である。宿の受付に行き私達
が泊っている部屋の本日の予約を確認してもらったら空いてい
たので、もう1日延長することにした。

 

この宿はキャッシュの清算が出来ない、今までの宿泊代は事前
に支払っていた。そのためもう1日宿泊となる場合新たに予約
を入れてコンビニから1泊分を支払うことになる。

 

予約はアゴダを利用しているのでホームページから新たに予約
をし直して支払い番号を出してもらいセブンイレブンで支払っ
た。本当に世話の焼けるKであるがしょうがない、これも後に
は笑い話となるだろう。これで1日延びたアユタヤ滞在である。

 

私は特にやる事もないので近所を探索に出かけた。

 

チャオプラヤ―川の橋を渡り向かいの遺跡までのんびり歩

いて行った。意外と距離がある、嫁さんも暑さでへばっている。

 

 

 

3時間位かけて探索から戻ってきた。

 

Kの様子を見てみると腫れは少し治まったみたいで、痛みは

あまりないらしい。この分であれば明日はパタヤに移動できる
だろう。

 

今日は最後の晩餐ということでお兄さんにチムチュムの用意

をお願いして白センマイや肉をリクエストした。ところがお兄
さんはこれでもかというくらい白センマイを仕入れてきた。私
達には食べきれない。

 

そしたら、お兄さんは「仲間が来ているからもらっていいか」

と持って行った。最初から計算済みであるが憎めない。

 

リバーサイドでチムチュムを食べながら最後のアユタヤの夜

を楽しんだ。Kはもう大丈夫とばかりビールを飲み始めた。

 

「あとは知らないよ」と私は釘を刺しておいた。とは言って
も、せっかくアユタヤに来たのだから最後の夜は好きにさせ
てあげたい気持ちがあった。

 

 

 

 

チャオプラヤ―川をリバークルーズの船が行き交い船内は

カラオケで盛り上がっていた。こちらから手を振ると答えてく
れた。

 

砂を積んだ船がバンコクへと何隻も通り過ぎていく。
夜になってもチャオプラヤ―川は賑やかである。

 

明日はパタヤに移動、はたしてKの足はどうなっているのか?


アユタヤの格安宿は「ジダパリゾート」で決まり

 

 

バンコクから北へ約80km、
世界遺産に登録されている、

遺跡群が立ち並ぶアユタヤの街がある。

 

 

チャオプラヤ―川とその支流の、
パーサック川とロップリー川に囲まれた中州になっている。

 

アユタヤ島とも呼ばれ敵からの防御のため
廻りに運河を掘り、敵からの攻撃に備えた。

 

東西約7㎞、南北約4㎞の島である。

 

アユタヤに来たからには、

ゆっくりとアユタヤ遺跡群や寺院、

歴史資料館や水上マーケット、更に像にも乗ってみたい。

 

 

 

    

 

 

そのためには、ゆっくりくつろげる宿が必要である。

 

私がおすすめしたいのは「ジダパリゾート」

 

 

 

 

バンコクからであれば、
モーチットバスターミナル(北バスターミナル)から、
ロットゥー(ミニバン)が出ている。

 

料金は60バーツ(約200円)ただし、
大きい荷物があり座席を占領すると、

二人分取られる場合もあるので要注意。

 

 

ロットゥーの運転手にアユタヤに入る前に、
「ジダパリゾート」と言えば、

宿の前で降ろしてくれる。

 

入り口に大きな看板があるのですぐにわかる。

 

道路から川に向かって、

縦長にバンガロー風の建物が並んでいる。

 

 

 

道路からの入るとすぐ左側に受付の建物があり、

ここでチェックインをする。

 

 

事前に日本から予約しておくとスムーズに事が運ぶ。

 

私はアゴダを良く利用している。

 

 

パソコンでアゴダを検索して、

アユタヤを探すとあらゆる宿が表示される。

 

「ジダパリゾート」も出てくると思う。

 

 

部屋のタイプも写真と詳細が載っているので、

好きなタイプの部屋を決め、

チェックインとチェックアウトの

日程を打ち込めば金額が出てくる。

 

 

基本は2人の料金であくまでも一泊の料金、

一人の料金ではないので間違えないように。

 

一泊朝食付きで、

夕食は宿のレストランか外食になる。

レストランの食事は別料金。

鍵を渡されるので特に門限は無い。

 

ここのスタッフには、

とにかく良くしてもらった。

 

メニューにない物を頼むと、

買いに行き作ってくれる。

 

 

 

薬が欲しいと頼めば、

病院まで行ってくれて買ってきてくれる。

 

トゥクトゥクをチャーターしたいと安く頼むと、

専属のトゥクトゥクに交渉してくれた。

 

 

 

アユタヤの遺跡群の効率の良い廻り方や、

おすすめポイントなど教えてくれた。

そして何よりも、

料金がリーズナブルなのが非常に助かる。

 

 

決済は日本で日本円で済ましてあるので、

現地支払いはレストランを利用したときのみである。

 

アゴダの注意書きに現地の通貨の変動により、

追加される場合があるとなっていたが心配無用であった。

 

建物もアユタヤの昔風の作りで、

何とも情緒があり私的には大好きである。

 

シャワー、トイレ、エアコン、テレビ、

すべて問題なく使えるしゆっくりくつろげる。

 

食事の時だけ声をかけてくれる。

 

連泊の場合はルームサービスが入る。
それ以外は呼ばない限り顔を出さない。

 

 

アユタヤの中心である、

歴史公園からもあまり離れていないし、

ソンテゥ(乗り合いトラック)に乗ればなんとかなる。

 

 

 

目の前にはチャオプラヤ―川が流れ、

リバーサイドでタイ料理を食べながらビールを飲む。

 

夕暮れになるとバンコクからのクルーズ船が、

ネオンを輝きさせながらゆっくりと行き来する。

 

手を振るとみんな答えてくれる。

 

対岸には大きなお寺があり、

夜になるとライトアップして幻想的な光景が眺められる。

 

 

 

 

もう一度行きたい、今日この頃である・・・・・

 

 


アユタヤを守った9人の戦士その名は「バーンラチャン」

 

 

バンコクから北へ140㎞、

アユタヤの上にあるシンブリー県にバーンラチャン郡がある。

 

 

 

 

少し南に下った場所にカーイバーンラチャンがある。

 

ここは、

「バーンラチャンの戦い」で有名な激戦地区だった。

 

1765年ビルマ(現ミャンマー)軍が、

圧倒的な数でアユタヤに侵攻してきた。

 

当時、アユタヤ王朝にとって

バーンラチャン村はビルマ軍の侵攻を防ぐ大事な村。

 

しかし、十分な武器や援軍を送ることが出来なかった。

 

村人たちは自ら奮起して村を守ろうと、

若者9人がビルマ軍に立ち向かい

果敢に戦い侵攻を防いだ。

 

8回にも及ぶ侵攻を食い止め、

5カ月もの期間を耐え抜いた。

 

 

ビルマ軍の攻撃は日を追うごとに激しさを増し、

武器が乏しかった村では、

今のままでは持ちこたえる事が出来ないと判断した。

 

その結果みんなで代表を決め、

意を決してアユタヤ王朝に直談判した。

 

アユタヤ王朝の返答次第で、

村の存続が危ぶまれる危険な状況だった。

代表にすべてを賭けた。

 

後日アユタヤ王朝から返事が届く。

 

大砲を借りる事が出来、

村人は勝利を確信した。

 

ところが、その大砲が使い物にならず激戦の末、

村は焼き払われてしまい村人全員が殺されてしまう。

 

ビルマ軍の侵攻を止められずに、

アユタヤは陥落してしまう。

 

 

 

1767年4月、

アユタヤ王朝は400年の歴史に幕を閉じた。

 

タイの国歌では、バーンラチャンを讃えている。

国のために死を恐れずに、

命で国を守ったバーンラチャン。

 

その勇敢さと功績を称え、

バーンラチャン記念の碑が建てられている。

 

 

 

2000年に映画化され、

2015年にはタイのテレビドラマで放映されている。

 

最後の場面では、

目を覆いたくなるシーンが数多く出てきて、

涙がこみあげてくる。

 

 

興味のある方は、

ユーチューブで「バーンラチャン」と検索すると、

映画やドラマが見られる。

 

 

ただし、タイ語でしか放映されていない。

 

 


アユタヤの日本の侍「山田長政」の真実を確かめる

 

「山田長政」

アユタヤでは有名な日本の侍であり、
アユタヤの政治を左右した人物でもある。

 

 

1590年駿河国に生まれ、

沼津藩主の大久保忠佐に仕え六尺(駕籠かき)をしていた。

 

高身長で体力があったらしい。

 

1612年

長崎から朱印船でシャム(現タイ)に渡った。

 

日本人町に住みアユタヤ国王の、

日本人傭兵隊に加わり頭角を表していく。

 

当時のアユタヤ王朝の国王は、

ソングタム王で故ナレースワン王の弟君である。

 

 

二度に渡るスペイン隊のアユタヤ侵攻を退け、

ソングタム国王より第三位である、

「オークヤー・セーナーピムック」

という官位を授けられる。

 

 

その後、チャオプラヤー川を行き交う

船の税を取る権利を任される事になる。

 

日本人傭兵隊の勢力も増し、

政治的にも大きな力を持つようになって行く。

 

ソングタム王の死後、

宮廷内では長政に対する反発が強くなり、

官史達がリゴール(現ナコーンシータンマラート)へ

左遷させ、その後暗殺される事になる。

 

 

長政の死後、

日本人町に「謀反の動きあり」と疑いがかけられ、

すべて焼き払われ人々は虐殺された。

 

現在日本人町跡地には、

山田長政神社が建てられている。

 

 

私が読んだ、

「史伝 山田長政(小和田哲男)」

「王国への道(遠藤周作)」

「ミャンマーの侍(沖田英明)」などの

山田長政の人物像が著者により違っていた。

 

 

DVDで「アユタヤの侍」を見てみたが、

現代風にアレンジされていて半信半疑で見ていた。

 

真実を確かめたくてアユタヤを訪れてみた。

 

日本人町跡地は公園になっていて

チャオプラヤ―川沿いに建てられている。

 

 

 

 

日本人の私でも、

きっちり外国人料金を取られた(笑)

 

公園の中央にはタイの国旗と、

日本の国旗が掲げられ日本人村と表記していた。

 

 

 

敷地内には日本人町の跡の碑が建ち、

山田長政の像が建てられている。

 


 

 

奥には資料館があり、

常駐スタッフ(日本人)がいる。

 

中に入ると壁いっぱいに描かれた当時のアユタヤの地図や、

朱印船貿易で取引されていた物や、

ショーケースの中には江戸時代の親書などが展示されている。

 

 

 

昔の日本人町は跡形もなく消え去り

別の場所に公園としてひっそりと佇んでいた。

 

結局、山田長政の真実は解からなかった。

 


アユタヤの偉大なる王「ナレースワン」に挨拶

 

 

ナレースワン(サンペットⅡ世)は
アユタヤ王朝21代目の王である。

 

 

サンペット1世(マハー・タンマラーチャー・ティラート)を

父に持つピッサヌローク生まれ。

 

1563年

父が治めていたピッサヌロークが

ビルマ(現ミャンマー)に攻められ、

ナレースワンが人質としてビルマに連行される。

 

 

幼少期は「オングダム」と呼ばれていた。

肌が黒いという意味のニックネーム。

 

人質時代ビルマにて闘鶏に親しみ、
軍鶏を可愛がっていた。

 

 

 

1584年

長い間ビルマの属国になっていたアユタヤが独立する。

 

その後1590年に、

父のサンペット1世が亡くなり王位を継いだ。

 

兵士の強化のため、
ビルマの人質時代に学んだ格闘技を教え、
それが国技でもあるムエタイになり、
ムエタイの創設者として今でも崇められている。

 

 

1593年

ビルマの王子との一騎打ちで勝利を収め、

アユタヤ王国を再興した。

 

 

1604年

ビルマのタイ系シャン族を保護するために、

北上したが途中チェンマイの北部で病に倒れる。

 

「軍神」「闘神」と称され、

タイの三大王の一人でもあり、

現在タイの50バーツ紙幣の裏に

肖像が使用されている。

 

 

 

 

私は時代物小説が好きで、

日本の戦国時代の本を読んでいる。

 

ナレースワンを知りたくて、

本を探したが翻訳されていない。

 

タイ語は読めないので、

DVDで「キング・ナレースワン」を見た。

 

 

第一部序章から第6部完結編まであるのだが、
日本で見れたのは第2部の

「アユタヤの勝利と栄光」までで、

その他はタイ国内でしか見れない。

 

タイを訪れた際に見たかったが、
そのままアユタヤに行き

「ワット・ヤイ・チャイ・モンコン」に

併設されているきれいな公園施設内の

ナレースワン大王廊に逢いに行ってみた。

 

 

 

橋を渡ると歩道の周りにいる、

たくさんの軍鶏と象が私達を歓迎してくれる。

 

 

 

早速、建物の中へ足を踏み入れると、

そこには高台から見下ろしている

キング・ナレースワンが、
「やっと来たか、まず飲め!」と

言わんばかりに私に酒瓶を傾けている(笑)

 

 

 

 

その前にひざまずき手を合わせ挨拶をする。

 

DVDを見たせいもあり、

何故か親近感が湧いてくる。

 

 

 

 

アユタヤはもちろん、

チェンマイでもナレースワンと軍鶏を見かける事が多い。

 

偉大なるタイの王様、
これからもよろしくお願いします。

 


古都アユタヤで悲しく鳴いている鳥

 

 

アユタヤの歴史は悲しい。

 

ビルマの侵攻により、
廃墟と化したアユタヤ市街。

仏像は頭部がなく、
胴体だけで着座している。

 

そんな悲しい歴史をまるで昔から見てきたような鳴き声で、

 

「ホッホゥー」
「カーワォ」
「コーエル」
「オーアォ」

 

 

聞く人により表現のしかたがまちまちだが、

実に悲しく聞こえる。

 

どこで鳴いているのだろうか?

 

鳴き声は聞こえるが姿は見えない。

 

アユタヤのジダパリゾートに滞在中、

リバーサイドのオープンデッキでビールを飲みながら、

チャオプラヤー川を眺めていた。

 

 

陽がゆっくりと暮れていく。

 

バンコクから来たのかクルーズ船が、

「コンコンコンコン」と近づいてきた。

 

大勢の観光客が
ディナーを楽しみながら川をさかのぼっていく。

 

また、バンコクへ向かうクルーズ船では、

若者たちがカラオケで盛り上がっていた。

 

私は思わず手を振ると、
向こうも答えてくれる。

 

何とも言えないひと時、

夕日が対岸のお寺に吸い込まれていく。

 

 

 

 

のどかで心地の良い最高の瞬間。

このまま、時間が止まってくれれば良いと思う。

 

 

すると、どこから聞こえてくるのか

「カーワォ、カーワォ」と悲しい鳥の声。

 

それも、絶妙なタイミング。

 

夕陽が沈もうとしている瞬間を狙って鳴いてきた。

 

私までも、黄昏れ気分で悲しくなる。

 

 

 

この鳥の正体は「ノックカーワォ」
日本名は「オニカッコウ」
全長40㎝~44㎝
インド、中国南部、東南アジアに

広く生息していて日本でも確認されている。

 

 

真っ黒でまるで日本のカラス、
メスは鳴き方が違うらしいが私は聞いたことがない。

 

 

タイ全土に生息しているので、

あちこちで鳴き声を聞く機会があると思う。

 

朝早くから鳴いていたり、
夕方になると鳴き始める。

アユタヤでは夜の9時頃まで鳴いていた。

 

私はこの鳴き声を聞くと、

チャオプラヤー川に沈む夕陽の黄昏れ場面を思い出す。

 


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