実話!東日本大震災で役立ったキャンプ用品


 

 

 

忘れもしない2011年3月11日午後2時46分
超巨大地震が東日本を襲った。

 

 

当時の私の会社は海沿いにあり、

私は事務所の中に居た。

 

突然、地響きが鳴り

「ドドドド・・・」と縦揺れがおきた。

 

 

ものすごい振動、
すぐに事務所の中に居る人達に

避難するように指示をして私は最後に事務所を出た。

 

縦揺れから横揺れに変わり、

目の前のアスファルトが裂けて開いたり閉じたりしていた。

 

立っていられないくらいの、
すさまじい揺れがしばらく続いた。

 

サイレンが響き渡り津波警報が発令された。

 

 

「5mの津波警報」

少ししたら「7mの津波警報」
間もなく「10mの津波警報」

 

大至急逃げるように、
アナウンスが繰り返し流れる。

 

海を見ると遠くが盛り上がっている。

 

すぐに「やばい」と思い全員を高台に避難させ、

私は自家用車に乗り逃げた。

 

ところが道路は大渋滞、信号は全部消えている。

 

何とか渋滞をかわし一目散に逃げるが、
橋に差し掛かると通行止めだ。

 

Uターンをして違う道を探した。
ところが、ガソリンがあまりない。

 

 

近くの給油所に行くと

手動で10リッターだけ入れてくれた。

 

迂回しながら降りっぱなしの遮断機を上げて、
一方通行を逆走してとにかく逃げた。

 

間もなく自宅というところで、

またしても橋が通行止め、
第一波の津波が来たらしく道路は冠水していた。

 

 

 

 

またもUターンで知ってる限りの道路を使い、
何とか自宅にたどり着いた。

 

時間を見ると夜の7時、
通常30分で行くところ、

なんと4時間も走り回っていた。

 

 

真っ暗な家に着いて

とりあえず家族の無事を確認して一安心。

 

懐中電灯を照らし家の中を見た瞬間言葉を失った。

 

メチャクチャで足の踏み場もない。

ガラスの破片とかが散乱していて、

注意しながら自分の部屋へ入る。

 

手が付けられない状態だった。

 

 

私の奥様は知り合いの

タイレストランでアルバイトしていた。

 

連絡付けようにも携帯電話がつながらないため、

無事かどうか分からない。

 

電気、ガス、水道がすべて止まっている。

 

とりあえず、その日は石油ストーブで暖をとり、

明るくなるのを待った。

 

翌日、改めて家の中を見ると

「え~」としか言葉が出なかった。

 

朝から少しずつかたずけ始める。

昼になりお腹が空いたので、

近くのコンビニに行くと長蛇の列。

 

 

 

 

しかも、一人3点までの限定。
家族全員で並び食糧を仕入れた。

 

 

水道だけは翌日に復旧したが、

ガスと電気は止まったままだ。

 

私の家はプロパンガスを使っている。

 

点検してもらえるように
連絡を入れたがなかなか来ない。

 

電気は復旧の見通しが立たない。
情報源はスマートフォンか車のラジオしかない。

 

 

車のエンジンをかけるが、
ガソリンがもったいない。

スマートフォンを見たいけど、
バッテリーがもったいない。

 

 

少し気持ちを落ち着かせ

夜になった時の事を考えてみる。

 

 

「・・・・・・・」

 

「そうだ!自分には、キャンプ用品がある。

 

ライフラインがなければ、
アウトドアスタイルで行けばよい。

早速、物置きからキャンプ道具を引っ張り出す。

 

ホワイトガソリン、ランタン、ストーブ、
ツーバーナーコンロ、炭、鍋、七輪、食器セットなど・・・

 

ランタンはガソリンタイプの
ツーマントルとLEDと2つある。

 

ランタンとストーブに

ホワイトガソリンを満タンに入れる。

 

夜になり、早速ランタンを灯す。

 

久々の明るさに感激、

近所は真っ暗でろうそくの明かりなどで

過ごしている中私の家だけ明るい。

 

 

すぐに、近所の人がやってきて

「電気来たのですか?」と言われ事情を説明する(苦笑)

 

 

水道は使えたのでキャンプ用の鍋で米を研ぎ、

ガソリンストーブで米を炊いた。

 

冷蔵庫は電気が止まっているため

悪くなりやすい物から調理して行く。

 

ツーバーナーコンロでフライパンを使い、
簡単にハムエッグや野菜炒め、

味噌汁も作りみんなで食卓を囲む。

 

何故か普段より美味しく感じるのは気のせいか?

 

 

 

奥様からの連絡はない。

少し心配だが大丈夫だと言い聞かせる。

 

毎日朝早くから、

家のかたずけに追われる日々が続く。

 

3日後やっと奥様と連絡が取れ

避難所まで迎えに行く。

 

アルバイト先の近くの小学校の体育館に避難していた。

 

私を見つけるなり駆け寄って来て号泣、
「もう、タイに帰りたい」と言っている。

 

 

私は今まで何度か大きい地震を経験してきたが、
奥様の国タイではめったに地震がないと聞く。

 

私もこんなに大きな地震は初めの経験で、

まして奥様にしてみれば

どれほで怖かったか想像がつく。

 

奥様の気持ちを落ち着かせ家路に向かう。

家に戻りあらためて無事を喜び合う。

奥様の無事を確認したところで会社が気になる。

 

車はガソリンがあまりないので、

私の愛車のオフロードバイクで会社へ向かう。

 

 

道路はがれきの山、
至る所に車が流されていた。
車の形は原型をとどめていない。

津波の凄まじさをしみじみと感じる。

 

 


 

 

オフロードバイクの機動性を生かし、
がれきの山を乗り越えたり道なき道を進んでいく。

 

 

会社へ着くと何人かの人達が来ていた。

 

私の勤めている会社は運送業で

主に冷凍食品を運んでいる。

 

 

ドライバーたちの安否の確認など、
情報収集に努めた。
全員の無事を確認して一安心。

 

関東の市場へ向かった便は、
全車戻って来ていた。

 

積み荷はケース物の冷凍食品なので、

市場ではもう使えないらしい。

荷主の承諾を得てみんなで分けることになった。

 

 

 

私も御裾分けをしてもらい

食料をバイクの後ろに括り付けて帰ってきた。

 

すると近所のビール工場で

大勢の人がビールを拾っていると聞き、

すぐに奥様をバイクに乗せごみ袋をもって向かった。

 

 

工場側も売り物にならないので

暗黙の了解のもと流されたビールをせっせと拾った。

 

あっという間にごみ袋2枚がいっぱいになる。

 

そして重いビール入りごみ袋を

落とさないようにバイクで家まで運んできた。

 

表面が汚れているので水道で洗い外に出しておく。

 

会社からもらってきたケースの中には、

ウニやさつまあげ、餃子やホルモンなどがあった。

 

 

早速、奥様の無事を祝って炭火でホルモンを焼き、
ツーバーナーコンロで餃子とさつま揚げを焼き、

ウニと一緒に拾ったビールで乾杯した。

 

部屋の中は煙がもくもくとあがるが、

まだまだ散らかっている状態なので気にしない。

 

 

まわりはみんな大変なのに、
私達はこんな贅沢してよいのだろうか・・・?

 

 

 

私の家から、
後10mというところまで津波は到達していた。
間一髪で水害は免れた。

 

 

様子を見に近所の道路に行くと
奥には行かない方がいいよと言われた。

 

冠水しており無残な状況、

みんな小学校の体育館に避難しているらしい。

 

自衛隊やボランティアなどによる
炊き出しや差し入れで、

避難所の人達はかろうじて三食を補っている。

 

 

自由を奪われ、

着の身着のままで逃げてきた人達が、

寒さをしのいで何とか生きている。

 

 

私は会社から御裾分けしてもらった、

キムチや納豆、さつまあげなどを、

町内会の役員の人に避難所に
持って行って貰うようにケースごと渡した。

 

 

大変な喜びで、

毎日同じものばかり食べている避難所の人達は

このような物がこの時はご馳走だった。

 

困ったときはお互い様。

 

1週間が過ぎ相変わらず
かたずけの日々が続いている。

ガスは使えるようになったが、
電気は止まったまま。

 

乾電池の蓄えが底をつき始めた。

 

コンビニの乾電池売り場は空っぽで

次に入ってくる見通しが立たないらしい。

 

 

 

 

 

灯油もなくなってきている。

 

 

 

スタンドには朝早くから長蛇の列、

一人何リッターの制限付きで無くなり次第終了、
せっかく並んでも必ず買える保証がなかった。

 

 

 

運送会社という特権を生かし

得意先のスタンドで灯油を分けてもらった。

 

生きていくために最低限必要な物は食料

 

幸い水道の復旧が早かったため、

我が家では水が使えた。

 

食料は冷蔵庫にあるものと、

会社からの御裾分けで当分は困らない。

 

米も十分ある、

電気が使えないため炊飯器は役に立たない。

 

ここしばらくは、

ガスで鍋をつかっての炊飯、

意外と家族には美味しいと好評だった。

 

 

 

震災後、なぜかいつもと変わりない食事、

つくづく食料のありがたさを感じる。

 

私と奥様はキャンプに慣れているので、

毎日がキャンプの延長のように感じる。

 

子供や孫も逆に新鮮味を感じていた。

 

私はキャンプは不便を楽しむ物だと思っている。

 

実際、実生活が不便になると、

キャンプの感覚で生活できる。

 

私自身、潔癖症ではないので

毎日体が洗えなくても苦にならない。

 

さすがに女性陣は困るので、

鍋ややかんでお湯を沸かしてバスタブに溜める。

 

地道な作業が続くが、

お風呂に入れる事が幸せだった。

 

 

まだまだ余震が続いていて、

みんな不安を抱えながら生活している。

復旧には、相当の時間がかかるだろう。

 

私の家の地区に電気が通ったのは1カ月後だった。
みんなで電気が使えるようになり喜びあった。

 

 

あらためて、テレビで震災後の様子を見た。

 

「・・・・・・」

 

まるで映画の世界、
信じられない映像が流れている。

 

 

私は海に近い会社から、

命からがら逃げてきて生きている。

 

あと10分遅ければ

多分この世に居なかったかもしれない。

 

逃げるタイミングで生死が分かれた。

 

実際逃げてくる途中で津波に車が流されて、

車の上で助けを求めている人達を何人か見た。

 

私も必死で逃げていたので、
どうすることも出来ない。

 

 

何もできない・・・・

 

今回の東日本大震災での被害は、

津波によるものだった。

 

地震での被害は、

液状化現象で道路が波を打った状態になったり、

建物の中の物が散乱したり、
建物自体傾いたりと、

被害はあるが命の危険性まではなかったと思う。

 

 

 

しかし津波という二次災害が、

大きな被害をもたらした。

 

生活するすべての物を飲み込んでいった。

 

 

一番怖いものは、かもしれない。

人間が生きていくために必要な

しかし、姿を変え被害をもたらすのも

 

津波や洪水、川の氾濫、豪雨など

今、震災等の備えに

アウトドア用品が注目を浴びている。

 

 

 

ライフラインが止まった時どうするかを考えて、

それに必要なキャンプ用品を備えておけば、

いざという時に役立つ事間違いない。

 

当然、乾電池や燃料の予備の備えは必要になる。

いつ、どこで、なにが起きるか分からない。

 

ライフラインが完全に止まった場合、

料理を調理するために必要な火、

ガスも電気も使えない場合、

それに代わるものがあれば最低限の調理はできる。

 

 

ごはんも炊ける、
あったかい味噌汁も作れる。

 

キャンプ用のコンロだったり、

カセットガスのコンロだったりと色々なものがある。

 

調理用の鍋、フライパンなどは、

ワンセットになっている便利なものがある。

 

 

電気がない場合は、

ランタンが明るくしてくれる。

 

燃料タイプでも乾電池式でもどちらでもよい。

 

最近はLEDの明るいランタンもある。

 

ごはんもパックに入って長期保存が効くものや

カップめんやインスタント物などがあれば
いざという時に役立つ。

 

 

水はペットボトルに入ったものが

5~6本あればとりあえずはしのげる。

 

なってみないと分からない災害

しかし、なってからでは遅い。

 

 

「備えあれば憂いなし」

 

 


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