
日本人同士であれば特別な事情がない限り
結婚は簡単である。
婚姻届けに名前と印鑑を押して、
区役所に提出して受理されれば
めでたく「結婚」となるのだが、
タイの女性の場合そう簡単にはいかない。
書類の嵐(日本での婚姻届け)
日本人とタイ人が結婚する場合、
お互いの国に届けを出さないといけない。
私の場合、
最初に日本に婚姻届けを提出してから、
次にタイに婚姻届けを提出した。
また、直接タイに行けないので、
タイの書類の用意は彼女の知り合いに頼んだり
兄弟に手伝ってもらったりした。
私の必要書類は、
戸籍謄本と印鑑のみだが
彼女の場合、独身証明書
いわゆる
婚姻要件具備証明書が必要になる。
この婚姻要件具備証明書がくせ者で、
要するに彼女は独身か?
妊娠はしていないか?
戸籍は大丈夫かなど、
男性側は収入は大丈夫か?
養っていけるのか?
身元はしっかりしているか?
本当に結婚する意志があるのかなど、
それらすべてを証明しなければならない。
婚姻要件具備証明書を入手するためには、
在日タイ王国大使館に
二人で一緒に行き申請しなければならない。
そこで私が用意しなければならない書類が
①戸籍謄本(日本の外務省の認証を受ける)
②住民票
③在職証明書(公証人役場にて宣誓認証と法務局長の認証)
④所得証明書(市区町村が発行したもの)
※源泉徴収票の場合は認証が必要
⑤独身証明書
⑥結婚資格宣言書
⑦証明発給申請書
⑧写真(縦5㎝横3㎝)
⑨パスポート(原本とコピー)
彼女の用意するものは、
①住民登録証
②国民身分証明書
③出生証明書
④離婚登録書(結婚歴があるため)
それらの証明書のタイの原本とコピー
更に、英語の訳文と日本語の訳文
そしてタイ国外務省での認証
この書類関係は、
彼女の兄弟や知り合いに頼んで用意してもらい
日本に送ってもらった。
日本で用意するものは(彼女)
①申述書
②診断書(妊娠していない事を証明)
③パスポート(原本とコピー)
これらすべてを用意して、
在日タイ王国大使館に出向き
婚姻要件具備証明書の発給手続き行う。
彼女の、
❶婚姻要件具備証明書と
❷国民身分証明書と
❸パスポート(原本とコピー)
私の戸籍謄本と印鑑
彼女の❶❷❸と一緒に婚姻届けを提出
無事に受理されてめでたく「結婚」
日本の婚姻届けは終了したが、
次は、タイに届けなければならない。
書類の嵐(タイでの婚姻届け)
日本で婚姻届けを提出してから、
1~2週間で、
婚姻の事実が記載された戸籍謄本が出来る。
婚姻証明書の発給手続きを、
在タイ日本大使館に申し込むのだが
タイに直接行けないので、
彼女の知り合いに頼んだ。
用意するもの(男性)
①証明発給申請書
②戸籍謄本(婚姻事実が記載されている物)
彼女の
①国民身分証明書(原本とコピー)
②住民登録証(原本とコピー)
③パスポート(原本とコピー)
これらをタイの彼女の知り合いに郵送した。
在タイ日本大使館で、
婚姻証明書が発給されたら認証してもらい
タイ語に翻訳してタイ外務省で認証を受ける。
認証を受けたタイ語の婚姻証明書を
タイ国郡役場に提出する。
無事にタイでの婚姻届け完了。
これで日本とタイでの
婚姻手続きはすべて終了。
だが日本で一緒に生活していく場合、
まだまだやらなければならない事がある。
書類の嵐(姓の変更)
結婚すると彼女の姓が変わるため、
タイ国郡役場に、
姓の変更や住民登録証の変更手続きをしに
行かなければならない。
私の場合、直接タイに行けないので、
在日タイ王国大使館が発給する
「称する氏に関する同意証明書」を
申請しなければならない。
彼女が申請するのだが、
まだ一人で仙台から東京まで
行くことができないので私も一緒に行くこととなる。
用意するものは(彼女)
①戸籍謄本(外務省の認証を受けタイ語に翻訳)
②彼女の国民身分証明書(原本とコピー)
③パスポート(原本とコピー)
④住居登録書(原本とコピー)
⑤私のパスポート(原本とコピー)
申請用の同意証明書に記入して、
必要書類を添付してサインすれば完了
その他、
パスポートの発給申請(姓の変更のため)
後日、新しいパスポートが発行されるが、
お金を用意してまた、
在日タイ王国大使館まで行かなければならない。
これで一安心かと思いきや、
一緒に日本で暮らしていくために
必要な重大な手続きがある・・・・・

バツイチ
私は20歳の時に同じ高校の同級生と結婚した
まぁ、俗に云う「できちゃった婚」です。
その後、2男1女に恵まれ若いなりにも、
良い家庭を築くために頑張ってきたつもりだったが、
私のわがままな性格や我の強さ優しさ不足などがあり、
23年の結婚生活にピリオド打つ事になった。
正直に言えば私に愛想が尽きたと思う。
私は未練があったのだが、
そのへん女性は強いし気持ちの切り替えが早い。
その後、私に残ったものは
究極なむなしさと多額な借金。
少しでも早く借金を返したい気持ちと、
余計な事を考えないようにするため
昼も夜もがむしゃらに働いた。
本当につらかった。
毎日が真っ暗な状態で精神的にかなり参っていた。
そんな時、
昔の上司でもあった人から突然電話があり、
風の噂で私の事を聞いたらしく
心配して連絡をよこしてくれた。
その上司は当時、
千葉で会社の社長をしていて私に、
「そのような状況であれば俺のところで働け」と
半強制的にすすめられた。
離婚して気持ちの整理がまだついていない状態だったので、
仙台を離れてみるのも悪くないと思い
条件など確認して千葉で働く旨を了解した。
私の借金を一時立て替えてもらい、
毎月の給料から少しずつ返す事となり、
かなり精神的に楽になった。
離婚から4カ月が過ぎようとしていた。
タイ人との出会い
千葉の会社の仕事にもだいぶ慣れ、
振り返れば3年の月日がながれていた。
ある日、会社の上司に飲みに誘われ
宇都宮まで行ってみることになった。
行った先は「タイパブ」
実はこの上司、
熱烈なタイファンでタイ語を勉強しながら、
タイへの移住を考えている猛者である。
仙台には、
「タイパブ」や「タイスナック」などは無く
タイ人と接触する頻度はかなり薄いわけで・・・
この宇都宮は「これでもか」というくらいに
タイ系の飲み屋やアジアン系など、
多国籍に満ちあふれている。
多分?
上司の行きつけの店に入るなり、
タイ語が飛び交い露出度の高い
タイ人のホステス達が歓迎してくれる。
仙台では味わえないなんとも不思議な世界
私は圧倒され、
ことばを失いながら時の流れにまかせた。
上司は最高に盛り上がり
タイを満喫していた。
その日は、やけに店が混んでいて、
上司には決まった女性が付きっきりで、
私といえば、
ヘルプの女性ばかりで入れ替えがはげしく、
落ち着いて飲む雰囲気でもなくなんかぎこちない。
上司が私に気を使いその店のママさんに、
私のところに女の子をつけるように言ってくれたらしい。
しばらくすると、ひとりのタイ人女性が
「手伝いに来た」
ということで私のとなりにきた。
ほかの店からの応援らしく、
片言の日本語で私の相手をしてくれた。
私の肩をもんでくれたり、
つまみを食べさせてくれたり
久々の女性の優しさに
ふれたような癒されるような・・・
至福のひと時を過ごした。
まさか
この女性が後の「タイ人の奥様」になるとは・・・

結婚して12年・・・
我ながらよく続いているなぁと感心する (苦笑)
ただ、結婚当初は苦労の連続だった。
ピノキオ並みの鼻
私の奥様は、かなりわがままなところがある。
自称「お嬢様」だったらしい。
6人兄弟の5番目で父親に溺愛されていた。
話によると、
彼女が生まれてから父親の商売が
右肩あがりで成功したらしくかなり大事に育てられた。
家にはメイドがいて、
学校の送迎は自家用車、
食事や身の回りの世話や教育などの世話をする。
父親が商売が忙しいため、
めったに家に戻って来ない 、
ほとんどメイド任せだったらしい。
たまに家に帰ってくると、
たくさんのお土産を買ってきて彼女を喜ばせる。
家にいる間は甘え放題・・・と
小さい頃の思い出話を彼女から聞いていた。
なるほど、
わがままの根源は、
この頃の生い立ちにあるのかなと思う。
一緒に生活していく上で欠かせないのが、
食事や掃除 洗濯の家事である。
最初のころは手取り足取り教えたが、
「なんで私一人でやらなくちゃならないの?」と
文句がでる。
私の家族と一緒に生活している以上、
義理の母親になる事を説明しても、
「関係ないでしょ」と返ってくる。
食事にしても、
すべて私の母親まかせ、作る気は全く無し。
少しずつ、
「料理をおぼえて手伝いなさい」と言うと、
「日本料理わからないから無理」と返ってくる。
洗濯にしてもするのは私たちの分だけ、
家族の洗濯物とわざわざ分けて洗う。
これでは、
家族たちからクレーム来るのは当たり前、
そのことを彼女に注意すると「フン」
と聞く耳をもたない。
そして面白くない顔をしてふてくされる。
何度か注意をしながら、
しばらく私も我慢していたが、
一向に治る気配がないので日本の雷を落とした。
「ここは日本!日本で生活をしていく以上
我が家のルールがある!いやなら 出ていけ!」
ピノキオの鼻にひびがはいったと思う。
日本教育
いままで誰も教えなかったから
しょうがない事だが、
ひとつひとつその場その時で
私が教えていかなければならない。
周りの人たちに対するあいさつや、
家周辺の買い物の場所や、
バスの乗り方 電車の乗り方
食事の用意のしかた、
家族みんながひとつ屋根の下で暮らすルールなど
数えたらきりがない。
私の奥様の場合、
その時に考える、なんとかなるとの思いが強い。
私たちふたりだけで生活しているのであれば
あまり問題はないのだが、
私の親や子供たちも同居しているので、
一緒に生活していく以上みんなと仲良くやってもらいたい。
そのためには、コミュニケーションをとったり
相手の気持ちを考えたり思いやったりと、
多少は気をつかうことも必要だと思う。
しかし、
そこには言葉の壁(それも仙台弁)があり、
意志疎通ができない。
それらを後からゼスチャーを交え、
片言タイ語、片言英語などを使いながら教えていく。
親や子供たちからは、
反応がないため無視されていると勘違いされ、
それが奥様のストレスになり、
家族たちのストレスと膨らんでいき、
家の中はしばらくストレスとの闘いだった。
私が「ただいま」と、
玄関をあけた瞬間に、
この空気がただよっているのは言うまでもない。
一人の恐怖
私の奥様は、ひとりで家から出られない。
怖いわからないの理由である。
そのため奥様の御用聞きが私になる。
家にひとりで部屋にいるのが不安らしい。
テレビを見ていても、
言葉があまり分からないため面白くない。
そして暇をもてあます。
すると私の携帯電話鳴る、
「今どこ 何時に帰る 今日何たべる」
じつにくだらない内容の電話に、
最初のころは丁寧に答えていたのだが
毎日おなじ電話がかかってくる。
私も仕事中大変なので、
奥様にスマホを与えラインの使い方を教え、
連絡はメールでとおねがいしたが、
ラインの使い方忘れたと電話がくる。
・・・困ったもんだ
現在
たくさんの問題を少しずつ解決しながら、
今日まで頑張ってきたとおもう。
やはり、相手を思いやる気持ちの大切さを
わかってもらうまでは時間がかかる。
私は日本の教育や習慣を学んできたが、
彼女はタイの文化や習慣が当たり前で、
いきなり日本の考え方に変えようとする方が無理がある。
いまでは、だいぶ日本人?らしくなって
言葉の壁も低くなり逆に自分が教えられることがある。
一緒に温泉いったり
旅行に行ったり
キャンプに行ったり
私に合わせてくれるので楽である。
長続きのコツは、
お互い思いやることだと思う。
日本人だからとか、
タイ人だからではなく、
お互いの良いところを尊重し合いながら
一つの問題を二人で一緒に考えていく事で、
安心感や信頼感が生まれて
二人の距離も縮まるように感じる。
何よりも、
いっしょにいて疲れない事が重要である。
ときには友達
ときには恋人
ときには奥様と・・・
これからも大事にしてゆかねば!

微笑みの国・・・
タイと聞くと「微笑みの国タイランド」
というキャッチフレーズをよく耳にしますが、
まさにタイ人女性は、
この言葉を象徴していると思う。
年間通して温暖な気候と広大な大地。
そして仏教国、
慈悲の精神が満ちあふれているせいか
「優しさ」が人一倍多く感じられます。
この「優しさ」は人にだけじゃなく、
動物や植物にたいしても・・
特にうちの奥様は、
植物が大好きでわが子のように可愛がり
植物と話しながら世話をしている。
ほかで育たなかった苗木や花や草が、
うちの奥様の手にかかると
不思議な事に芽がのび花を咲かせる・・・
まさにゴッドハンド!
まぁ、私にたいしても優しいのだが・・・
タイ料理
私はいたって健康体だが、
たまには具合が悪いおなかが痛いはある。
そのような時には、
元気がでるドリンクや腹痛が治まる食事など、
タイの食材を使ってつくってくれる。
結婚する前はタイ料理など
食べたことがないし興味もなかった。
酸っぱい辛い甘い
不思議な味でどうしてもなじめなかった。
ところが1週間もすると
「もう一度たべてみたい」
と思うようになり奥様にリクエスト、
食べれるレパートリーもだんだん増え
いまではタイ料理が大好き。
タイ料理は体に良いし、
パワーがでるような気がします。
以前、初めてタイに行ったときに
レストランでいつも我が家で食べているものを注文したら
まったく同じ味だったのにはさすがにおどろいた。
余談だが、
私の奥様はなんとタイの調理師の資格持ちで
自分で店を持っていたそうです。
あっぱれ!!
私は、毎回ただで本場のタイ料理を食べている
「しあわせ者」です。
喜怒哀楽
タイの女性は、
時間がゆっくりながれていると感じるときがある。
日本の人は事細かに計画したり、
段取りしたりと色々考える。
時間を気にしながら準備を進めていくが、
うちの奥様はその時にならないと用意しない。
「明日、10時に○○に行くからね」
「はい」
次の日、
10時から用意するのがうちの奥様です(笑)
なんで早くに用意しないのか怒ると、
「しょうがないでしょ」と逆ギレされる。
私が仕事などで帰りが遅くなると、
「どこ行ってた」
「なんでおそいの」
「メール連絡がない」など ひとりで怒っている。
どっかで浮気してきたななど、
勝手におもって勝手に怒っている。
「浮気がばれたらアソコをチョン切って
アヒルに食べさせるからな!」
うちの奥様の口癖です。
それだけ 想われているって事ですかねぇ・・・( ´艸`)