アユタヤの日本の侍「山田長政」の真実を確かめる

 

「山田長政」

アユタヤでは有名な日本の侍であり、
アユタヤの政治を左右した人物でもある。

 

 

1590年駿河国に生まれ、

沼津藩主の大久保忠佐に仕え六尺(駕籠かき)をしていた。

 

高身長で体力があったらしい。

 

1612年

長崎から朱印船でシャム(現タイ)に渡った。

 

日本人町に住みアユタヤ国王の、

日本人傭兵隊に加わり頭角を表していく。

 

当時のアユタヤ王朝の国王は、

ソングタム王で故ナレースワン王の弟君である。

 

 

二度に渡るスペイン隊のアユタヤ侵攻を退け、

ソングタム国王より第三位である、

「オークヤー・セーナーピムック」

という官位を授けられる。

 

 

その後、チャオプラヤー川を行き交う

船の税を取る権利を任される事になる。

 

日本人傭兵隊の勢力も増し、

政治的にも大きな力を持つようになって行く。

 

ソングタム王の死後、

宮廷内では長政に対する反発が強くなり、

官史達がリゴール(現ナコーンシータンマラート)へ

左遷させ、その後暗殺される事になる。

 

 

長政の死後、

日本人町に「謀反の動きあり」と疑いがかけられ、

すべて焼き払われ人々は虐殺された。

 

現在日本人町跡地には、

山田長政神社が建てられている。

 

 

私が読んだ、

「史伝 山田長政(小和田哲男)」

「王国への道(遠藤周作)」

「ミャンマーの侍(沖田英明)」などの

山田長政の人物像が著者により違っていた。

 

 

DVDで「アユタヤの侍」を見てみたが、

現代風にアレンジされていて半信半疑で見ていた。

 

真実を確かめたくてアユタヤを訪れてみた。

 

日本人町跡地は公園になっていて

チャオプラヤ―川沿いに建てられている。

 

 

 

 

日本人の私でも、

きっちり外国人料金を取られた(笑)

 

公園の中央にはタイの国旗と、

日本の国旗が掲げられ日本人村と表記していた。

 

 

 

敷地内には日本人町の跡の碑が建ち、

山田長政の像が建てられている。

 


 

 

奥には資料館があり、

常駐スタッフ(日本人)がいる。

 

中に入ると壁いっぱいに描かれた当時のアユタヤの地図や、

朱印船貿易で取引されていた物や、

ショーケースの中には江戸時代の親書などが展示されている。

 

 

 

昔の日本人町は跡形もなく消え去り

別の場所に公園としてひっそりと佇んでいた。

 

結局、山田長政の真実は解からなかった。

 


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